
世に鰻好きは多いが、生涯でいちばん多く鰻を食べたのは誰だろう。たぶん、斎藤茂吉氏ではないか。鰻の蒲焼きといえば、まず斎藤氏が脳裏に浮かぶ。なぜなら、「午前中カ丶リテ漸ク二三枚シカ書ケナカツタガうなぎヲ食ヒ、午后ニナツテカライクラカ進ミ夕食ニ又うなぎヲ食ヒ、夜ノ十時ゴロニハ十三枚ト半グラヰ書イタ」という具合に、氏の日記のそこかしこに、鰻を食べた記述が出てくる。


遂には、『茂吉と鰻』(林谷廣著 短歌新聞社)という、斎藤氏の日記から鰻を食べた回数を調べ上げた本まで登場した。それによると902回。日記を書かない日もあったのだから、実際はその数をはるかに超えるだろう。




最初はただの大好物だっただろうに、やがて斎藤氏にとって鰻は不思議な力が潜む神格化されたものへと発展していった。日記には、「夜鰻ヲ食ツタトコロガ午後ニシタ下痢ガ止マツタヤウダ」という記述まである。歌人であると共に、医者でもあった氏なのに・・・。


医者・作家となった息子たちも、それにはあきれ果てていたようだ。長男・斎藤茂太氏と次男・北杜夫氏は、『この父にして』(毎日新聞社)で、こんな会話を交わしている。「医学的にどうしても解明できないウナギ」「目が輝いて、樹木の緑の色が食べる前と違うという」「医学的にはぜんぜん当てはまらないので、完全に心理的な自己暗示にかかったみたいな作用」等々。


その斎藤氏が愛した店が、渋谷・道玄坂にある花菱だ。創業当時から今に至るまでここで扱っているのは、静岡・焼津産の鰻。それを甘口の秘伝のたれで3度つけ焼きにする。たれは、創業以来甕の中で大切に保存されてきた。減ってくると、厳選した2種類のしょう油とみりん、砂糖を合わせたものを煮詰めて、甕に足していく。
戦時中には、家族より先に、この甕を、創業者のふるさとである岐阜県恵那郡に疎開させたほどである。店は戦火により昭和23年に建て直され、平成元年に新築した。それまでは2階に座敷が5部屋。障子を開けると、道玄坂の風景が楽しめた。
青山の自宅から、花菱へ向かう。そのときの斎藤氏は、心躍らんばかりだったろう。そして注文するのは並か中。青山脳病院院長で、また、高名な歌人であった氏だが、特上を頼むことはなかったそうだ。きっと帰り道で詠んだのだろう。氏にはこんな句がある。「あたたかき鰻を食ひてかへりくる道玄坂に月押し照れり」



営業時間: 11:30~14:30 17:00~22:00 休: 日曜・祝日休
蒲焼定食 中2,100円 大2,625円